先週から、公文書写教室が始まりました。
少しずつ、来てくださる学習者さん。
大人も、子どもも。ありがとうございます。
自分で教室をしておいてなんだけど、
どうして書写を学習するのかという理由を、
うまく言えないんだけれど、なんかバシッと言いたい自分がいる。
字なんてきれいに書けなくても生きていけるのにね。
教室しながら、また自分も1人の学習者として学びながら、
思い至ったことはこれ。
「きもちがいいから」でした。
きれいに書けた時の自分が気持ちがいい。
丁寧に書かれた字を見たとき、見た人も気持ちがいい。
相手を思いやる気持ちや、大切にする気持ちがそこにある。
わたしは、(知ってる方は多いと思うけど、)
きれいとは言えない字を書いてきました。
でも個性として、「この字もすき。」って言ってくださる方も多かった。
私は、自分の字はそんなに嫌じゃなかったけれど、
正式な場に出ていくには子どもっぽい字だなと思っていた。
でも、そんな自分の未熟さをそのままに、開き直って相手にぶつけていたんだなと、
今は少し思う。それは、相手を大切にしているかというと、そうではない気がする。
それがいけないというわけではないけれど。
あと、姿勢を整え、服を整え、
顔を整え、部屋を整え…
整えることって、やはり気持ちがいいからするんだね。
よく見られたいっていうのも、あるかもしれないけど、
自分が心地よくなることなんだね。
毎日、書いて書いて、書き続けているけど、
まだまだ研鑽が必要だと思う。
自分の中での頂上を目指して、ひたすら書いていく。
それできれいな字が書けたからなんだっていうのか?
なにか世の中の役にたつのか?というと、
いや、別に役にはたたない、と思う。
でも少しは整った字が書けるようになったって、
満足してる自分がいるかもしれません。
でも書写力をほんとに自分の血肉としていくには
ずっとひたすら書くことだと感じます。
くりかえし、くりかえし、くりかえし。
終わりなき道。それが楽しいんですね。